小説 「エフ」

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第一回


平井は、柔らかく大きな枕に頭をうずめて、自分の心臓の音を聞きながら、それを恐れていた。

(心臓の音を聞けば、心臓がつねに動いていることを意識させられる。そして、それは、いつかは必ず心臓が止まってしまうだろうことをもまた、意識させるものだ。俺の心臓は、いつか、止まる。俺が生まれる前からずっと動き続けてきたこの物体が、永遠に止まらずにいることなど、あり得ない話だ。もちろん、俺の命もいつかは終わるだろう。けれども、俺にはそのことが分からない。自分の死を、具体的に理解することができない。ただ、心臓の鼓動を聞いていると、それがいつかは必ず止まるということだけは、はっきりと分かる。いつか心臓が止まってしまうということ、それは死よりも具体的で、明らかなことだ。だから、事実としても想像としても、逃れようのないものだ。俺は、俺の死を知らない。なぜなら、死んだことがないからだ。しかし、俺は血が通わないということが、どういうことかを知っている。心臓が止まり、酸素が体に行き渡らなくなるという、そのことの意味を知っている)

平井は、恐れによって全身の毛細血管が少しだけ収縮して、体中が微かに痺れるような感覚を覚えた。その瞬間、俯せに寝ていたベッドから飛び起きた。そして、ジャージに着替えると、すぐに外へ出て走った。軽く走っただけだが、起きてすぐに走り出したので心臓が激しく打った。体の動きがバラバラな自分の姿がイメージされた。

毎日、朝早く目覚めると平井は、いつも心臓の音を聞いた。そして、恐ろしさが湧き上がり、それが十分に大きくなると起きて、朝の練習に出た。平井は短距離走の選手だ。百メートル走では、日本人で五本の指に入るタイムを出していた。しかし、世界から見ればその記録も平凡なものでしかなく、理想からは程遠い現実の自分の姿に、苛立ちを抱えていた。

いつもはアップをしてから走っていたが、起き抜けの恐慌から逃れようとするときには、決まって突然に走り出した。だから、ほとんど必ずと言っていいほど、酷い吐き気を催した。そして、自分は心臓が動いていることを恐れていて、それを止めてしまいたいと願っているから、こんな無茶なことをしてしまうのだろうかと考えた。しかし同時に、極限まで無理をして走り、卒倒してしまったりはしないことを思って、自分を守るためにある逆方向の恐れを、恥じてもいた。

平井はもう長いこと、自分の速さの限界を感じていたが、自分はどんな手段を使っても、少しでも速く走らなければならないのだと考えていた。それは、体に何かが触れたことで否応なしに与えられた感覚のようでもあり、意識的に自ら選び取った覚悟のようでもあった。

だから、平井にとって走ることは、単純に楽しいというようなことではなかった。自分が自分に発した命令に従ってトレーニングをするときには、記録によって人から賞賛されるときなどより、自分は選ばれた人間なのだと感じることができたが、誰にも強制されずにしなければならない課題のすべてはまた、酷く不当なことのようにも思われた。

公園へ向かう道を走る途中、遠くの十字路に角の家の塀が作るスリットを、一人の男が走り過ぎる姿を見た。平井は、ただ少し見ただけなので気付けなかったが、それは小田であった。

平井と小田は、高校生の頃、同じ陸上部に所属していた。そして、いまもお互いに別の事業団で選手として走っているのだった。小田の方もまた、走っている男の姿を見たが、同じように、それが平井だとは気付かなかった。

平井と違い、小田にとって走ることは喜びだった。毎朝、自分の楽しみとして家の近くを走っていた。小田は心臓の音を意識的に聞いたことはなかったし、だから、それを恐れたことなど一度もなかった。

平井も小田も、近くを走っている男を見て、その者もまた自分と同じような思いを抱いているのだろうと、勝手な共感をそれぞれに覚えていた。

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第二回


公園へ着くと平井は、地面にラダーを書いて、その中と外とで激しく駆け足をするようにステップを踏んだ。偏執狂的な感覚のあるそのトレーニングが好きだった。

平井は、練習熱心ではあったが、誰より速く走りたいという望みを持っている訳ではなかった。速く走りたいのではなく、自分は速く走らなければならないのだということが、自分の中で決まってしまっていたのだ。それは、自らが自らに課した義務のようなものだった。そして、自ら感じていることを自ら行い、そのことの正しさを確かめつつある使命のようなものでもあった。

確かに平井もまた、小さい頃には、速く走れるこということで、人から褒められたりもした。走るのを続けてきたのも、そこに大きな原因があったろうし、だから、いまや何より重要なことになってしまった走るということそのものも、それほど人に認められることがなかったなら、自分の中で大事なものに変わる前に、やめてしまっていたかもしれないとは思えた。

けれども、成長して次第に自分という存在を意識し出す頃になると、ただ人に褒められたり認められたりするためや、人に勝って満足することができるという理由で走る人間たちを、平井は軽蔑するようになった。

そして、社会の中での役割を得て人の役に立ったり、あるいは、誰かと深い関わりを持つことで互いを意味付けあったりすることなどではなく、ただ、速く走らなければならないという思いを意識することと、そんな自分をまた強く意識することとが、自分を人間にしたのだと考えるようになった。

(人は、ただ自分自身を意識するだけでは、人間にはなれない。自分が何に従って生きるべきかを意識し、また、そのことが実行できているかを意識することによってだけ、人間になることができるのだ。俺はいつでも、自分のあるべき姿に自分が向かえているかを、自分で監視している。けれども、俺は俺の存在に不安を感じている訳ではない。俺は、速く走れなければ、自分の価値がなくなってしまうと考えている訳ではない。価値を生み出す手段を行使して、それを鍛え上げることと、無価値に墜ちてしまう自分から逃れるためにもがくこととは、まったく別の話だ。盗みをしないことはただ、自らの選択としてそうあるべきだと決めたからなのであって、自分の価値がなくならないように盗みを働かない訳ではない。つまりは、それと同じことだ)

平井は、そうやって自分の中で何度も繰り返された考えを再び練り直しながら、スタートダッシュの練習を始めた。まっすぐに立つと、自分の姿勢に意識を集中させた。大臀筋に力を入れ、足先を開くように立った。その目指すところは、骨盤を立てるということだ。

骨盤を立てると背骨も立ってくる。背骨が立つと、S字に曲がっていることで前後に分散されてしまっていた力が、生かせるようになる。足で地面を蹴った時に地面から受ける反発力のロスが少なくなって、自分をフィニッシュまで辿り着かせるものである物理的な力が、無駄にされずに済むのだ。

そんなトレーニングの仕方があることを平井に教えたのは、コーチの達川だった。簡単な説明を受けたとき、平井は驚かされ、家に帰るとすぐにその方法について学んだ。コーチである達川の側としては、自分が良いと考える合理的なトレーニング法を受け入れてくれたのだと思って喜んだ。しかし、平井にとって印象的だったのは、そこに潜んでいる執拗さだった。自分の運動能力を高めるために骨盤や背骨の角度まで意識し、変えていこうとするような、執拗さだった。

骨盤を立てようとするその体勢から次第に体を前に傾けて、倒れそうになる瞬間に足を前に出して、ダッシュをした。走っている間の姿勢に気を付けつつの三十メートルダッシュを何度も繰り返しながら、平井はまた、自分の考えの中にいた。

(俺は、走りを理論的に組み立てるし、それは、当然そうでなければならないものだ。なぜなら、そうでなければ、自分の走りが偶然の産物に堕ちてしまうからだ。自分の走りであるのに、それを自分で 作り上げたと言えなくなってしまうからだ。だから、俺は必ず、まず理屈を組み立てる。そして、それに則ったトレーニングをする。けれども、ときには、これまでと違った走りを求めるトレーニングによって、走り自体が崩れてしまうこともある。そんなときには何度も繰り返し練習することで、そこからもう一度、自分の走りを組み立て直さなければならないという訳だ。大袈裟に言うなら、そうやって新たに作り出され、残されていく走りの変遷こそが、俺が生きた軌跡だ。俺は、その移り変わりのすべてを説明できる。その説明といまの走りそのものとが、俺自身なのだ。それ以外のものは、ただ生きて行くために、そして、走りに必要な休養のために、仕方なしに支払われたものに過ぎない)

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第三回


朝の練習を終えると、家へ戻り、簡単な食事を取って会社へ向かった。実業団の選手として採用されたので、午前中の間だけ、そこでデスクワークをしていた。平井は、関係を拒否したい気持を表すような、誰に対してのものか分からない呟き声の挨拶をして、自分の席に座るとすぐに仕事を始めた。

食品会社だったが、仕事はどこにでもあるような事務だった。単調な作業の繰り返しではあったけれども、それについて平井は、特に何の感想も持たなかった。ただ字面だけは違うものの結局は同じ内容で、たまにいくらかの不備を含んだたくさんの書類を、いつも無心で処理していった。

平井にとって仕事は、例えば、練習場へ行き着くための長い階段のようなものだった。それは、ときより忌々しく、けれども、大抵は仕方のないものだった。階段のそれぞれの段に文句を言うことは、愚かしいことのように思えた。そして、階段の代わりにエレベーターを付けるとなれば、それなりのコストが必要なのだとも考えていた。

ある体裁から別の体裁へと書類を作り変えること。それを、自分以外の人間が求めていて、けれども、煩雑で面倒なものであるから、代わりにやると報酬が得られるということ。平井は、そういう仕組みを含んだ事柄、つまり、仕事というものに対して、頓着する気はなかった。ただ、繰り返しの煩わしさに疲れたとき、何度も同じことを考えた。

(仕事というのは、つまり、人の期待に応えるということだ。俺はもう、そんなことに興味はない)

時間中は、ほとんどつねに仕事に集中していた。職場には、午前中しか働かないことを申し訳なく思ってそうするのだろうと考える者もいたが、実際には、ただ同僚との関係が煩わしいというだけのことだった。

平井は、目的の定まらない集まりというのが苦手だった。そこで自分が何をしたら良いのかが、分からなかった。だから例えば、同僚たちと一緒に酒を飲みにいくようなことは、ほとんどなかった。平井にとっては、宴会で二時間過ごすよりも、仕事が二時間伸びた方がまだしもましに思えた。なぜなら、仕事には明らかな目的があるからだ。

「親睦を深める」という言葉の意味が、平井には分からなかった。互いに仲が良くなければ仕事がうまくできないということは、無能さの表れでしかないように思えた。しかし、そういうこともまた、結局は、どうでも良いことでしかなかった。なぜなら、そもそも会社でなされることはすべて、人の期待に応えるためのものに思えていたからだ。

(俺にとって、集団はただ、利用するためだけのものだ。もし集団というものに肯定的な態度を取るとすれば、それは当然、集団に属する最も下らない人間をも認めることになってしまうだろう。例えば、かつて俺が所属していた高校の陸上部で言うなら、その集団を認めるということは、ただ仲間が欲しいからという理由で入部した人間も、教師同士の持ち回りで当番だからということで顧問になった教師もまた、認めることになってしまうだろう。俺は、そんなことをしたくはない。そもそも集団を求めるということは、自分一人では望みを叶えることができないということなのだから、結局は、弱さの現れでしかなく、だから、それは酷く醜いものなのだ。俺にとって集団は、単なる手段でしかない。集団が、俺の目的になるようなことはない。元来が俺は、自分の周りのほとんどの事柄に興味がないのだ。それは、例えば、競技のときに吹く風のようなものだ。それによって記録は影響を受けて、だから、自分は影響を受けてしまうだろう。例えば、追い風が強すぎれば、公式タイムとして認められなくなってしまうだろう。けれども、そのことが俺の走りに対して持つ意味合いは、さほど大きなものではない。俺はただ、俺の走りをするために走るのであって、誰かに認められるために走るのではない。確かに、良い記録を出して多くの人間に認められるようになれば、練習の環境だとかの面で、有利になったり好都合であったりはするだろう。しかし、そういうことが俺の走りを根本的に変えるものには、決してならない)

必要最低限の言葉を発する以外は口を閉ざして、周囲に精神的な壁を作りながら仕事を終えると、平井は、昼食を取ってすぐにグランドへ向かった。

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第四回


グランドには、コーチの達川がいた。達川は、練習で使う小さなハードルをトラックに並べていた。平井はすぐに手伝い始めた。それはただ、速く練習が始められれば良いと思ったからだった。達川が「悪いな」と言ったが、平井は何も答えなかった。自分の考えを説明するのが煩わしかったし、自分を理解して欲しいとも思わなかったからである。

その達川というコーチは、大学の体育学部を出てから、スポーツによる外傷や障害を扱う日本の医療機関に入り、その後、平井の会社の陸上部へコンディショニング・コーチとして採用された男だった。いまでも、仕事の傍ら度々アメリカへ渡り、トレーニングの理論を学んでいた。

古めかしい精神論のようなものを完全に排した合理的なトレーニング方法を実践していて、実際、それによって確かな実績を上げていた。日に焼けた肌で、体は痩せていて、その鋭い目つきは、どんなことであれ人の言うことを自分で確かめることなくそのまま受け取る気などまったくない、と告げているかのようだった。彼の口癖は、「正しいことは正しい」というものだった。つまり、正しいことと間違ったことの境界線を犯すことは誰にもできない、という意味だ。

一年前、高校を卒業するとき、平井は達川のことを雑誌で知り、達川がいるからという理由だけで、会社を選んだ。入社してから受けた指導によって、平井は自分の選択が間違いでなかったことを知った。

達川はつねに、筋肉や腱や骨が物質であることを強く意識して、その成長と衰え、動くことのできる範囲と限界を選手に理解させながら、トレーニングを指導した。その酷く詳細な説明を面倒に思う選手も少なからずいたが、走りを理解するには、意識の精密さが不可欠だと考えていた平井とは、合っていた。

平井は、体とその働きをただの物として見る冷気と、その眼差しを組み合わせて速さへの仮説を立てる平衡と、そして、仮説を信じて突き進もうとする熱気とが、走りにはどうしても必要なのだと考えていた。ただ、それらすべては一人の人間の中だけでなされるべきもので、誰かと共同でなされるものなどはすべて低く、結局、協力は協調を要請し、協調は妥協をもたらすのだと、感じていた。

だから、入社後に指導が始まると一月も経たないうちに、平井は、理論のすべてを一度に説明されると理解が浅くなってしまうと、達川に言った。すると、次の練習からは、平井の走りの問題点を簡単に指摘して、後は資料を渡すだけというように、指導の仕方が変えられたのだった。達川は、自分と同じく平井もまた、自分で納得できなければ一歩も進みたくない人間であることを、すぐに理解したのである。

平井は、達川の対応を嬉しく感じた。しかし、自分が理解されることを警戒する気持を忘れることはなかった。同じである部分を意識し過ぎれば、際立てられた違いが余計な摩擦を起こすことを、意識せずにはいられなかった。達川の方でも、当然、平井に自分と通じるものを感じていた。だから、練習を終えたロッカー室で、平井に向かって、監督や他のコーチの批判をしてみせた。

「何の理論的根拠もない我流の練習法だとか、行き当たりばったりの指導法で、選手生命が縮められたり、絶たれたりした人間がたくさんいる。あいつ等がやっていることも、それとほとんど変わらない」

けれども、達川が持つ古臭いコーチングに対する怒りというのは、選手のことを考えたものであるよりは、正しくない方法や地位の上に胡座をかいている人間に対するものであるように、平井には思えた。達川は、確かに有能ではあったが、精神主義のように理論的でない不確かな考えを余りにも執拗に否定するため、監督や他のコーチからは疎ましがられていた。だから、年に何度か、研修という名目で逃げるようにしてアメリカへ行き、そこで一週間ほど過ごしていた。

平井は、達川の、いつでも不平を口にしているようなところが、好きではなかった。そういう下らないものと関わらざるを得ない自分の無力さを知るべきだと、そう考えていた。平井に対しては厳しく批判してみせる他の選手とも、一緒に飲みに出かけたりなどを度々して、連帯と呼ばれるようなものを求めているところも、平井には理解し難かった。だから、達川の方では平井に色々と声を掛けてきたが、平井は次第に、必要と思ったこと意外はほとんど話をしなくなった。

口で走る訳ではないと、平井は考えていた。色々と余計なことを話せば、それだけ走る能力が落ちてしまうような、そんな気さえしていた。思わず何かを言いたくなるときには、自分の考えていることは、走りによって表現されるだろうし、その正しさもまた同時に証明される筈だと、自分に言い聞かせた。

結局、平井は、すでに達川に失望していた。そんな風にして心の中ではいつでも、少年のように、人に対して過剰な期待を寄せていた。そして当然に、すぐに諦めてしまわざるを得なくなって、頑なな心の中で、数え切れないほどの独白を繰り返していた。

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第五回


ある日、練習が終わった後にミーティング室で平井は、アメリカから帰ったばかりの達川と話していた。

「あの男は異常だ」

達川は、苦笑いを浮かべながら言った。それは、杉田という名前の医師のことだった。達川は、十日ほどのアメリカでの滞在の間、ある大学でトレーニング理論を学んでいた。そして、スポーツ医学についての小さな学会がそこで開いた大会に参加したとき、杉田に出会ったのである。達川は何年も前から、その杉田という男の存在を知っていた。

平井もまた、他の選手やコーチを通して、杉田のことは聞いていた。その医師は、トレーニング・ドクターとして様々な国の陸上チームに雇われたという経歴を持っていた。しかし、それは表向きの姿で、実際は、選手にドーピングの手引きをしているのだと噂されていた。

達川は、「いまの検査方法には引っ掛からない、新しい良いのができたから、君のところの選手にどうだ」と、そう言われたことを、馬鹿らしいことだという風に平井に話した。部屋の真中の事務机に腰掛けて、シューズの紐をいじっていた平井は、その言葉に顔を上げると、まっすぐに達川を見た。

「その男に、会わせて下さい」

達川は笑い顔を強張らせて応えた。「何を言ってる」

「連絡先を、教えて下さい」

「そこまでして、速くなりたいか」

「なりたいです」平井は即答した。「俺は、とにかく、速く走らなければ……」

「薬を使うなんて、フェアじゃない。フェアでなければ、競技の意味なんてなくなってしまう」

「検査を掻い潜りながら薬を使っている人間は、必ずいます。だから、本当は禁止した方がアンフェアです。すべて解禁すれば一番フェアなものを、無理矢理禁止してフェアだのアンフェアだのと言うのは、ナンセンスです」

「……活躍する選手の姿を見て、競技を始める人間もいるんだぞ。子供たちが薬を使うようになったらどうするんだ」

「それは単に、それぞれの選択でしょう」

達川は、もうそれ以上、言葉を次ぐことができなかった。そして、自分を黙らせた平井に苛立って、とにかく平井は不当なことを言っているのだと思った。しばらく黙っていた達川は、「駄目だ」とだけ言い残し、部屋を出ていった。平井はテーブルに座ったまま動けなかったが、手だけは、思わずドアの方へ伸ばしてしまいそうになった。

実際には、達川は、杉田の連絡先を知らなかった。そんな如何わしい医者のことなど、はじめから相手になどしていなかったからだ。廊下を早足で歩きながら、達川は、自分が発した非難の言葉に即答してみせた平井のことを思って、嫌な感じがした。平井がドーピングのことを以前から考えていて、その是非を自分の中で何度も問うていたように思えたのである。

(何しろ、選手は皆、追い詰められるために練習しているようなものだ。平井は特に、そういうところがある。でも、そこを抜け出せれば、自分が馬鹿なことを考えていたと、きっとすぐに分かるだろう)

けれども、達川の考えをよそに、そのときにはもう平井の心は決まっていた。

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第六回


ミーティング室の平井は、テーブルに座ったまま、自分が達川に話したことの正しさを、もう一度確かめていた。心の中で何度も達川の言葉に反論していたが、そのうちに達川が置いていった学会発表の論文集を、テーブルの上に見つけた。

手にとって見てみると、杉田というその医師が「バイオスポーツ研究所」という会社の人間だと分かった。平井は、会社の名前がいかにも怪しげで、杉田という人間に相応しく思えて、少しだけ笑った。番号を調べてすぐに電話をかけると、「杉田先生はいまおりません」と若い声の女が答えた。

(身内の人間に「先生」を付ける馬鹿なのだな)と思いながら平井は、電話の女に達川の紹介でかけたと嘘をついて、連絡が欲しいと伝えた。家に帰って運動生理学の勉強をしていると、杉田からの電話があった。平井が予想していた通り、杉田の声は少し甲高かった。

二日後、平井はバイオスポーツ研究所を訪れた。それは、街の中心にある大きな公園から少し離れた、三階建てのビルに入っていた。ビルはくすんだクリーム色をしていた。受付で名前を告げると、ワイシャツ姿の若い男が出てきて、三階へ案内された。

平井は、エレベーターの古さに、ビル自体の古さを感じた。三階を示す「3」の文字のデザインが、二十年以上も前のものに思えた。一階は事務所で、二階に身体機能を測定するような機械類があるのだと、案内の男が平井に話した。平井は、その言葉を聞き流しながら、杉田について調べたことを思い出していた。

達川以外のコーチや同僚である他の選手たちに杉田のことを聞いてみると、いくつかのことが分かった。まず第一に、杉田は、筋肉増強剤など肉体を改造するために使われる薬の研究に熱心で、副作用のことなどはほとんど気に掛けずに、自ら手を下した肉体に起こる物理的な効果を観察することに喜びを見出すような、マニア的な人間であるらしかった。

また、筋肉増強剤、興奮剤、麻薬性鎮痛剤、そして、血液ドーピングと、あらゆる方法に手を出していて、それらの影響を隠す薬を処方するために嘘の診断をすることもあるということだった。個々の選手のことなど眼中にないが、極端なナショナリストで、日本人の選手をこそ強くしたいのだと考えていて、アメリカ人や中国人を実験台として薬を開発し、その中で効果の高いものだけを、日本人に使わせようと目論んでいるらしかった。

数年前に中国の長距離選手のために非公式にトレーニング・ドクターとして雇われたが、選手たちのドーピングが検査で露見したとき、それがちょうど杉田の国粋主義の傾向が周囲に露見し始めた頃でもあったので、ドーピングの事実を意図的に見つかりやすくしたと解されて、すぐに解雇されたということだった。

平井は、杉田というその医師を、滅茶苦茶なことをする奴だと思った。けれども、そこに、何かに食らい付いていくような偏った心を感じて、それによって騒ぎ出してしまった自分の心に、警戒をした。

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第七回


三階でエレベーターを降りると、そこは学校のようで、廊下の両側に、大学の教員室に似た小部屋がいくつかあった。一つの部屋の前で案内の男は立ち止まり、ノックをしてからドアを開けて、中へ一声かけた。そして、平井に向かって軽く頭を下げると、そのまま立ち去った。

平井が部屋に入ると、すぐ目の前に小ぶりの応接セットのようなものがあった。奥には窓があったが両脇の壁は本棚で埋められ、そこにはぎっしりと本が納められていた。一番奥にある机の上にも、古いパソコンがある他は本が積まれていた。部屋に入る前に平井が予想していた、人体図や人間の臓器の模型はどこにもなかった。

机に向かって仕事をしていた杉田は、振り返って平井を見た。そして、「よく来てくれた」と言いながら、ソファを勧めるように手を差し出した。杉田は、痩せた体に白衣を纏っていた。分厚いレンズの眼鏡を掛け、その向こう側には、つねに何かを睨み回すような目付きの、大きな目玉があった。

入り口の方へ歩み寄った杉田は、平井と向かい合ってソファに腰掛け、「いつも達川君から、君の話は聞いているよ」と笑顔を作った。平井は、杉田は嘘をついていると思ったが、お互いの利害は一致する筈だと考えて、すぐに本題に入った。

「新しい薬ができたそうですね」

その瞬間、杉田は笑うのをやめた。しかし、しばらくしてまたほくそ笑むようにして、言った。

「使ってみるか?」

隠されていた厚かましさが露になった表情と、そんなものをすぐに見せてしまう杉田とに、平井は少しだけ苛立った。

「ええ、使わせて下さい」

杉田は軽く頷くと、薬の説明を始めた。

「通常、ドーピングをするときは、体内の状態を一定に保とうとする、所謂、ホメオスタシスによって薬の効果が下がってしまう。だから、それを避けるために、ここに書いてあるように、ある程度の期間を空けて飲まなければならない」

机の引出しから一枚の紙を取り出し、杉田はテーブルの上に載せた。そこには、検査を潜り抜けるために計画的にドーピングをするためのスケジュールが書かれていた。それは、初めはアナボリックステロイドの錠剤を服用して、後に注射に切り替え、テストステロンの注射に移行してから、競技の日付が近くなると、現状の検査では見つけられない成長ホルモンに変えるというものだった。平井は杉田の説明に対して、言葉を遮るようにして軽く手をかざした。しかし、杉田はそれに気付かずに、話を続けた。

「元来ホルモンというのは、どれも似た構造を持っていて、いわゆる筋肉増強剤として、もっともよく使われるアナボリック・ステロイドというのは、男性ホルモンであるテストステロンと非常に……」

テーブルの上から目を上げた杉田は平井の様子にようやく気が付き、話すのをやめた。平井にしても、薬の成分やその特徴、そこから生み出される作用と、体に及ぼす影響を知りたかったし、それは当然知らなければならないものでもあった。その訳は、副作用を恐れてというより、人間を速く走らせる働きを薬が持っているからで、平井がそうしたものすべてを知り、意識化し理解して、自らの走りについての戦略に組み入れなければならないと考えていたからだった。

けれども、走りに関わるすべての知識を一挙に掴み取ることなどできる筈もなく、走るということを自分の意志をもって選択してから数年しか経っていない平井にとっては、杉田の説明が、その下にある基礎的な知識の山を思わせ、焦りを感じさせるものだったので、遮らざるを得なくなったのだ。

「俺には、難しいことは分からないし、そんなことはどうでも良いことだ。とにかく俺は、速く走れるようになって、薬を使っていることがばれなければそれでいい」

平井の言葉に、杉田は苦笑した。しかし、平井の方へ身を乗り出すとその手を握った。

「一緒に、成功を手に入れよう」

平井は、杉田の言う成功とは、一体何のことだろうかと考えた。

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第八回


(それは、自分が作った薬で記録が生み出されることだろうか。あるいは、自分の思い通りに人間の体が変わっていくことか。俺の活躍によって、自分の薬が認められることか。それとも、大好きだという「日本人」と呼ばれる種の優位が証明されることなのか。たとえ、この男が期待しているものが何であったとしても、それは本当に成功と呼べるようなものなのだろうか。俺は成功のために走る訳ではない。速く走らなければならないから、走るだけだ。俺は、ランナーであって、だから、速く走らなければならないのだ。どんな立場にいたとしても、俺は、社員や友人や恋人や夫や父親である前に、一人の走者だ。別に恰好を付けている訳でも、自分に酔っている訳でもない。問題は、何が自分を納得させてくれるかだけだ。速く走るということが俺を深く納得させるもので、だから、俺にとって最も重要なことなのだ。もし、速く走るということ以外で自分を慰めるようなことがあるとすれば、それは俺にとって、紛れもないごまかしだ。そして、自分が何であるかに関わる最も大事な問題で自分をごまかてしまうのなら、俺の頭はどうかしてしまうだろうし、あるいはその時点ですでに、どうかしているに違いないのだ。だから、俺は速く走る。速く走って……。しかし、速く走って……、そして、それから、どうする?)

杉田は、自分の手を握りながら、けれども、どこを見ているのか分からないような顔をした平井が恐ろしくなって、顔を強張らせた。しかし、それでもまだ、平井は自分の考えの中にいた。

(そうだ。俺は速く走って、自分がアスリートであることを自分自身に納得させなければならないのだ。速く走ること、そして、それによって得られるものすべては、少なくとも俺にとっては、この医者の言うような社会的な成功ではない。成功など、何の関係もない話だ)

平井は、何かを企んでいるような狡賢い笑みを顔に浮かべて、杉田が放そうとする手をもう一度強く握った。きつく握られた手の痛みと、平井への恐れとから杉田は苛立ちを感じて、少し乱暴に平井の手を振りほどいた。

杉田は不愉快な気持になったが、こういう少しおかしいところのある男ででもなければ、薬を使ってまで早くなろうとは思わないのかもしれないと考えることで、自分を落ち着かせようとした。

それから二人は、互いにまったく別のことを考えながら、しかし同時に、意地の悪そうな笑みを浮かべた。杉田が白衣の右ポケットから、カプセルの詰まった小さな薬瓶を取り出して、平井に手渡した。

「エフ剤だ。トレーニング前に、毎日一錠ずつ」

それをポケットに突っ込むと平井は、「分かった」とだけ言って、部屋を出た。エレベーターの中で平井は、一人で興奮していた。

(たしかに間違いなく俺はこの薬によって早くなるだろう。しかし、何より大事なのは、いま俺が抱いている決意の方だ。おそらく、俺がドーピングをしてまで、早くなろうとすることを非難する人間もいるのだろう。けれどもそれは、本当は、何をおいても優先すべきものを持たない人間が、それを持つ人間と、そのものとを目の前に突きつけられたときに見せる嫉妬であり、うろたえに過ぎない。そして、至上とすべきものの代わりに、自分を安定させるために自分で支え、また自分が支えられてきた道徳だとか慣習のようなものが、酷く脆弱なことを知らされて感じる不安であって、そこから生み出された怒りなのだ。俺は、ただ自分の体を実験台にしているだけで、人に迷惑を掛けていないのだからそれで良いのだとか、そんな下らないことを言いたい訳ではない。そもそも自分以外の者にとって何が迷惑であるかを、自分の考えの中だけで決められると考えること自体が、すでに酷く厚かましいことではないか。だから、あるいは、何が迷惑であるかを自分で決められないことに対する不安が、迷惑を掛けてはいけないなどという愚かしい意見を、人に言わせてしまうのかもしれない。迷惑のすべてを理解することができないのなら、ただ自分の中で気付くことのできたものを、黙って慎ましく避けようとすることだけが、できることのすべてだろう。けれども、それさえ、独自の倫理を抱える人間には問題ではないのだ。それは、すべてに絶望した人間が犯す犯罪を止める道徳が、あり得ないのと同じことだ。だから、至上の価値を持つのと価値に絶望するのとは、ほとんどすべての価値をまったく認めることがないという意味では、同じことなのだ)

平井は自分の考えの中に入り込んでしまって、エレベーターが一階に着いて扉が開いても、すぐ降りようとはしなかった。そのため、乗り込もうとしていた中年の女に、訝しげな顔で見られた。

まだ三階で自分の部屋のソファに座っていた杉田は、平井がコーチの達川に無断で自分に会いにきたのだろうと考えていた。

(もし、コーチと選手が同意した上で薬を使うのなら、事前に達川から連絡があるか、二人で自分のところへ来る筈だ。しかし、いずれにせよ余計な取引をしなくて済んだのは良かった。とにかく薬を使いたがったのは、あの男の方なのだから)

杉田は、ドーピングのスケジュールが書かれた紙を机の引出しに戻すと、祝杯を上げたいような気分になった。なぜなら、薬によってどんな副作用が出るかは分からなかったが、記録を伸ばすという意味では、必ず成功すると考えていたからだ。

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第九回


杉田は、その薬を「エフ剤」と言った。平井はそれを、「エフ」と呼んだ。エフを飲み始めると平井の体は見違えるように変わっていった。全身の筋肉は、トレーニングによって壊せば壊すほどに、より強く結び付き厚みを増した。平井にとってそれは、自分に力を与えてくれる豊穣の実りのようであった。

肉体の劇的な変化のために、平井は、芽生えだした過剰な自意識のために体を鍛え始めた少年のように、自分の体を何度も鏡に写して眺めたりもした。全速力で走れば、心臓の鼓動よりも強く、足をつく度に地面が脈打つのを感じた。自分が走り後ろへ蹴っていくその場所が、自ら立ち上がり体を押し上げてくれるかのように思えた。

体は重くなったが、自らの重みにも打ち勝って、体全体を素早くフィニッシュへと導いていく筋肉の束が、日ごとに全身で目覚めていくのを感じた。気分が高揚して、自分の顔を鏡で見るといつでも目が充血していた。つねに自分を冷たく観察しようとしてきたその目が酷く血走っているのは、滑稽なことに思えた。

その眼差しは、自分が取り付かれてしまった速さへの渇望と、そのことから生まれる救いのなさによく似合っていると、平井は考えた。なぜ目を血走らせなければならないのかという問いに、だから、なぜ速く走らなければならないかという問いに答えることのできない理由のなさが、いつの間にか心に異物として埋め込まれてしまったように感じられた。

実際の走り自体は、スタートから、以前より体を前に傾けたまま加速できるように変わった。前傾姿勢を取れば、体の重心は前方へずれて、より強い力で地面を蹴らなければ倒れてしまうが、筋力が上がることでそれが可能になったのだ。

平井の体の変化と、それがもたらす走りの変化とは、指導をしていたコーチの達川をもまた、魅了した。それが自分のコーチングの成果でないことは、達川にも分かっていた。

けれども、達川は、平井がドーピングをしていることを意識するのを、拒否していた。にも関わらず、もし平井が薬を使っているのだとしても、それが必ず深刻な副作用をもたらす訳ではないと、自分に言い聞かせていた。

エフを飲む前の平井は、つねに癒しがたい緊張の中にあった。現実の自分が、そうあらねばならない理想の自分に追い付くことができずに、その間隙に息苦しさを覚えていた。ただトレーニングをしているときだけ、平井は、そこから身体に与えられる直接的な苦しみを背負いながらも、しかし、精神的には安らぎを感じていた。

自分を少しでも速くしてくれるだろうトレーニングを行い、それに見合った休息を取ることだけが、自分で自分を許すことのできる唯一の方法だった。しかしまた、自分のやっているトレーニングが結果として、どこかの疲労骨折を引き起こしたりするような、マイナス方向の努力に終わってしまう可能性に怯えて、それを振り払うかのように、またトレーニングに集中し、のめり込んでいった。

しがみつくような練習の結果として、記録を少しずつ伸ばしてはいたが、しかし、記録がある点に収束していくように見えるときには、いつも大きな不安を抱えていた。そして、練習を続けても技術力が上がらないプラトーの状態に陥ると、一気に平井は精神的に追い詰められた。

平井にとって記録を伸ばすことは、自らが発したものではあるが、しかし、自らに課せられた至上命令だった。だから、酷いときには、極度の緊張で血が巡らなくなって、指先に痺れを感じることさえあった。そんなときは、自分の体のどこかに異常があるのではないかと考えて、軽いパニックに陥ったりもした。

恐慌状態になると、「走れ」という命令が大脳皮質の運動領野に行き、手や足に命令が伝わる途中に障害があって、そこから発せられる異常な刺激が、大脳からの命令を邪魔して異常な緊張が現われるのではないかと、例えば、そんな余計な考えを巡らせた。そして、交通事故で体に障害が残った人のように、長い時間をかけてリハビリをしなければ、二度とは走ることさえできないのではないかと思うのだった。

そんな苦しみの中にいると平井は、高校のときの陸上部の顧問だった体育教師が言った、「プラトーは高原だぞ、プラトーの時期に入っても、その高原を見渡せるくらいの余裕がないようじゃ駄目だ」という言葉を思い出して、その教師を殺してやりたいと何度も思った。

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第十回


その言葉とは反対に、自分を目覚めさせてくれるような言葉を、平井に告げた教師もいた。それは物理の教師だった。

平井は物理が好きだった。走るということを、自分の体という物体が百メートル向こうへと動くことと捉える考えや、移動した向きの力と移動した距離との積としての仕事と捉える考えは、平井の気に入った。

それから、例えば、物体の運動を考えるときに、摩擦がまったくない状態とするときのように、物理という世界の中で予め置かれている仮定が好きだった。それが酷く自分勝手なもののように感じられて、現実に対して自分が持っている独り善がりな解釈と繋がっているように思えたからだ。

それぞれの人間は、自分勝手で中途半端なやり方をして、世界を捉えているに過ぎないのだと、平井は昔からそう考えていた。

(皆、勝手なことを勝手に言っているだけだ。例えば、誰かに迷惑を掛けてしまったとして、相手に謝ろうと考えたときに、けれどもその失敗によって、もう自分には謝る資格さえなくしてしまったのではないかと一度でも考えてみることがないなら、それはまったく厚かましいことで、だから、酷く勝手な言い草なのだ。逆に、誰もが勝手なことをしているのだから、自分は勝手に生きるのだと誰かが言うとすれば、そこには、周囲のことを気遣う眼差しがあるのだから、必ずしも勝手なことばかりを言っている訳ではないことになるだろう。俺の周りには、そういう何が言いたいのか訳が分からない好い加減な言葉が溢れている。だから俺は、物理のように、予め自分の勝手さを前提の中に押し込んでしまって、その先はただ明晰さを目指そうとする考え方が好きなのかもしれない。けれども、物理法則となると、多くの人間を納得させることができるだろうが、俺のこんな考えでは、ほどんど誰をも納得させることができないだろう。そこが大きく違うのだが、しかし、大事なことは人を納得させることでも、考えを共有することでもない。ただ、自分を納得させることだけだ。俺は、俺をより深く納得させてくれるような、そんな俺自身の世界の解釈を求めているだけなのだ)

あるとき、部活の準備のため授業の終わった教室へジャージを取りに戻った平井に、黒板を消していたその物理教師が、話し掛けてきた。

「平井は陸上をやってるんだよな」

平井が、小さい声で「はい」と答えると、教師は黒板を消す手を止めずにこう言った。

「梃子の原理というのがあるだろう。体の関節も梃子の原理で動いているんだ。でも、普通に梃子といって想像するようなものではなくて、力を速さと距離に変えるような種類のものだ」

平井は教室を出ようとしていた足を止めて、その話を聞いた。

「逆に、速さを力に変えるような梃子が人の体の中にあるかは、疑問視されている。人の体は、力を犠牲にして、距離と速さを生み出そうとしているんだ。だから、平井も速く走れ」

平井は、その言葉に感動はしなかった。むしろ、そこにある論理的な繋がりのなさに、軽蔑さえ覚えた。だから、ただ曖昧な笑みを浮かべるだけで、黙って教室から出ていった。

それでも、脳の指令によって全身で生み出される力が、様々な関節で距離と速さを稼ぐように変換されて自分を走らせるのだという見方は、次第に、平井の考えの中に組み込まれていった。そして、ただ速く走ることのためにエネルギーを費やすという、競技が持っているその無意味さを、根拠もなく支えるものに変化していった。

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第十一回


平井は毎日、エフを飲んで体を作り、自らの記録を更新し続けた。日本で開催される世界選手権に出られることが決まり、平井と杉田は、より一層トレーニングに励んだ。

平井にとって何より痛快だったのは、出場権を得たときの走りでさえ、まだ決して全力のものではなかったということだった。選手権には、小田も、日本の陸上短距離のエースとして、出場を決めていた。小田というのは、以前、平井が心臓の音を恐れて走り出した朝に見かけた例の男だ。

小田と平井は同じ高校で、ともに陸上部に所属していた。同学年の二人ではあったが、平井の記録は平凡なものでしかなかった。しかし、小田はすでに逸材と目されていた。高校にいる間も、その後も、平井は一度として小田の記録を破ることができなかった。小田の記録は着実に伸びていき、あるところで一時的に留まるようなこともあったが、いずれにしてもそれは、平井には手の届かないものだった。

小田にとっては走ること自体が喜びであって、記録が停滞しているときでも、平井のように打ちのめされたり、焦ったりするようなことはなかった。その姿は、いつかは必ず良い結果が生まれる筈だと考えているような楽観を思わせて、平井を苛立たせていた。

しかし、いまや平井はエフの力を得て、小田の記録にも迫っていた。つまりは、ライバルになれるところまで来たのだ。けれども、平井は、小田のライバルになりたい訳ではなかった。平井はいつでも、小田にではなく、自分の想像に追い付けないことに苛立っていた。だから、エフという仕掛けを取り入れたのだ。

それが走りに組み入れられることで、自ら想像する自分に近づきつつあった平井にとっては、小田であろうと世界記録保持者であろうと、まったく問題ではなかった。理想的な走りをする自分に追いついたとき、あるいは、それを追い越したとき、すべての問題を完璧に解決できるだろうと、高校生の頃から、平井は考えていた。

いまだ解決をみていない間隙、つまり、現実と理想の間にあるその隙間からは、いつでも夥しいほどの焦燥が溢れ、平井を責め続けていた。けれども同時に、そんな情況こそが報われるべきものなのだと、そう平井は考えていた。

(報われるべきなのは、努力や集中をして何かをやることではない。時間を掛けることでも、頭や体を酷使することでもない。大事なのは、どれだけ切迫した焦りを、目的のために抱えてきたかだ。言うまでもなく、焦燥は、人から与えられたものであってはならない。自ら、自らに与えたものでなければならない。一体に、自分がそうでありたいと願い、そうでなければならないと望む姿に近づこうとすること以外に、人間になすべきことがあるだろうか。人の役に立つことなど、何だろうか)

平井は、高校時代から抱えてきたそんな考えを繰り返しながら、達川の用意したメニューをこなしていった。記録を伸ばすことで次第に狭くなっていく理想と現実との隙間は、そこから生まれ出ようとする焦燥を硬くして、ついには何かを壊さずにはいないように思えた。

その破壊されてしまうものというのは、理想でも焦燥そのものでもなく、現実の自分自身なのではないかと恐れながらも、他にどうしようもなく、目的の地に到達するために血走った目で何度も走った。


第十二回


選手権の数日前になって、コーチの達川は、これまでは検出ができなかったドーピングが大会で新しく導入される検査法では分かるようになったらしいことを知った。そして、そのことを平井に話した。

達川は、平井を試すような気持ちだった。取り乱したりなどして、不正な薬物を使っていることを、早く自分に知らせてくれれば良いと思った。自分の説得を受け入れ、もうドーピングなどやめて欲しかった。もう一度初めから練習を二人でやり直して、平凡な記録でも、努力によって自分を納得させられるのだということを、教えてやりたいと思っていた。しかし、平井からはただ曖昧な返事があるだけだった。

平井は、その日の練習を早めに切り上げると、すぐに杉田のところへ出かけた。杉田は、相変わらずおかしな目つきをしていた。平井は、自分が見られているときにも、自分の体という物体の重心があるその一点を、大きな目玉を使って計測されているような気がした。

新しい検査方法のことを切り出すと、杉田はすぐに、「エフ剤とは関係ない」と答えた。そして、もし検出されるようになったとしても、一度や二度の検査ならば、何とか手を打って、見つからないようにさせてみせる、というようなことを話した。

「金メダルを取るということは、つまり、賞を獲得するということだ。そして、あらゆる賞というのは、結局は政治的なものに過ぎないのだよ」

隠されてはいるが本当のものである現実を、的確に言い当ててみせたとでもいうような、杉田のその得意げな顔を見て、平井は馬鹿らしい感じがした。杉田が検査を潜り抜けさせるような力を持っているかどうかなど、分かりたくもなかった。だから、「そうですか」とだけ答えると、そのまま部屋を出てしまった。

大会を運営する側が行うドーピング対策は、平井の目からは、あまりに執拗なものに思えた。薬物を使って速くなることがなぜいけないのかが、まったく理解できなかった。選手には、偏っていて歪な潔癖さが押し付けられているのだと、平井は考えた。

(けれども、俺は、サラリーマンが栄養ドリンクを飲んで残業するのは許されるのに、アスリートには、そこに含まれた少しの興奮剤さえ許されないのは不合理だ、などと言うつもりはない。他の世界のことなど、まったく問題ではないからだ。ただ、俺たちが走っている競技場のトラックの上で、薬という手段が認められるかどうかだけが問題だ。機械を埋め込んでいる訳でもないのだし、それがもたらすリスクをも受け取るつもりで選手が選択するのならば、なぜ薬を禁止することなどできるのだろうか)

平井は、自分には受け入れ難い考えを持ち、規制のために努力する人間たちが、最後に言うだろう言葉を想像した。それはつまり、「どうしても薬を使いたいならば、そういう人間たちだけで競技をせよ」というものだった。しかしそれは、自らの主張の正しさを証明できない人間がする、自分のごまかしに苛立って零す投げ遣りな言い訳にしか思えなかった。

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第十三回


平井は、選手権の前日を完全な休養日にした。それは体のためを思ってではなく、焦燥に挑むためだった。

(たとえ軽くであったとしても、いつものようにトレーニングをすれば、焦りを感じる時間は少なくなるだろう。焦りを生み出すコツは、何もしないでいることだ。行動は焦燥を殺すのだし、想像はそれを育てるからだ)

平井は、何もしないことによって焦れる心を誘き出し、敢えてそれと対決してやろうと決めたのである。試合での自分の圧倒的な勝利を少しも疑っていなかったが、まず手始めに自分の焦燥に打ち勝って、選手権での勝利を完全なものにしようと考えた。もしも、その気持ちに勝つことができなければ、試合に勝っても無駄なことのようにさえ、思えていた。

いつもより遅く起きて朝食を取ったが、家にいればただそのまま眠ってしまいそうで、何もせずに時を過すことだけのために、近くの図書館へと出かけた。小さな図書館の狭い自習室には、受験生たちの緊張が密に立ち込めていた。

平井は、そこでもやはり運動力学やスポーツ医学のことが書かれた本を、棚から選んだ。いまさらながらに新しい練習法を見つけたりすれば、より強い焦りが生まれると考えたからだった。外科医がした講演の本を眺めていると、そこには、こう書かれていた。

「心臓疾患のある人はある程度は当然としても、それ以外でも神経症的なものを含めて割合に多くの人が、自分の心臓が止まってしまうかもしれないという想像をして、恐怖を訴えてくることがあります。しかし、どちらかと言えば心臓というのは、止めようと思っても止まらないようにできているものなのです」

平井はそれを読んで、声を立てずに笑った。止めようとしても止まらないという、心臓を動かしている謎の力の不可解さを思い、そんな訳の分からないものに突き動かされて、走ったり、追い詰められたりしている自分が、馬鹿げた存在のように感じられた。そして、集団や人間それぞれにであるどころか、ただ心臓一つにも、奇妙な力が込められていることを、思い知らされた。

(俺の心臓は、体から切り離されても、動き続けるのだろうか。そして、焦りは、俺の心から切り離されてもなお、毛細血管を収縮させて、俺の手足を痺れさせるだろうか。あるいはもう、焦りは焦りとして、ただ自分自身を駆り立てるだけなのだろうか)

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第十四回


部屋に帰りテレビをつけると、そこには小田が写っていた。期待の天才アスリートとして紹介され、インタビューを受けていた。

「僕は第一に、来年のオリンピックに照準を合わせています。オリンピックというのは、すべての選手がそこを目指していく訳ですから、そこで勝つことこそが、本当の意味での勝利だと思っているのです」

平井は、小田の言葉を軽蔑した。そして、まだ他にも馬鹿げたことを口走るのだろうと思って恥ずかしくなり、テレビを消してしまった。

(確かに、調整という問題はあるだろう。しかし、オリンピックに集中していく力などと、そんなものは下らない物語にすぎない。誰でも、縦えそれが何であっても、そのために生きていると言えるものがあるのなら、いつでも、いまこの瞬間に、最高の力が発揮できるのでなければならない。いつ何がどうなるかも分からないのに、今日の走りを最高のものにできないなら、残るのは虚しい期待だけだ)

平井は、自分に都合の良いときだけ本気になるなどということができる訳がないと、そう考えたが、そのあまりの当然さに馬鹿らしくさえなった。

(俺はオリンピックで勝つためになど、走らない。俺は、俺の限界まで速く走るためだけに、走る。そして、もしそれできたなら、それだけで十分なのだ。けれどもきっと、その結果は圧倒的なものになってしまうに違いない。俺は、決して破られることのない記録を、今度の選手権で打ち立てるだろう。そして、もし俺に何かあって、オリンピックに出ることができないようになったとしても、俺の記録には誰もまったく歯が立たないことを、すべての人間に教えてやるのだ。それによって、小田の言っていることがただの戯言にすぎないことを、はっきりと証明してやるのだ)

平井は、すでに何度も考えてきた一つの対照を、もう一度考えてみた。それは、誰にも認められないけれども自分で納得できる走りと、すべての人間に認められながらも自分では納得できない走りとでは、どちらが素晴らしいものであるかということだ。しかし、結論はいつもと同じものだったし、それは、そうでしかありえないものに思えた。

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第十五回


選手権初日の朝、平井は、達川の車で競技場へ向かった。軽く挨拶をした以外はしばらくお互い何も話さなかったが、達川が興奮していることは平井にも伝わってきた。車を運転しながら達川が、「鼻を明かしてやれ」と言って、平井にスポーツ新聞を手渡した。そこには、小田にメダルの獲得を期待するという内容の記事が書かれていた。

自分の方が必ず上位になると確信していた平井は、もうすぐそれが現実になることを想像すると愉快だった。そして、同時に、小田などは問題ではないのだと、そう考えた。けれども、わざわざ否定しなければならないということは、やはり意識しているということなのだろうか、とも思われた。

どちらでも構わないようなことでも、一度は引っ繰り返さずにはいられない自分の考えを煩わしく感じて、払い除けるように新聞を捲ると、幼い頃に好きだったプロレスラーの記事があった。ジュニアヘビー級の外人選手で、その男は、見事にビルドアップされた肉体を持っていた。

動きが素早く、相手を持ち上げマットに叩き付ける技は、動きが始まってから終わるまでが一瞬のことだった。まだ幼かった平井は、そこにヒステリックなものを感じ、心酔していた。日本ではヒールだったが、試合に負けて鼻血を出していても、カメラが向けられれば、自慢の筋肉を見せつけてポーズを取るというような、そんな姿が好きだった。

けれども、平井が夢中になってテレビを見ていたその二年後には体を壊し、二十五歳という若さで引退したのだと、記事には書かれていた。原因は、薬物乱用によるもので、ステロイド剤を常用していたために、強くなりすぎた背筋が背骨を圧迫して、左の半身全体が痺れるようになってしまったのだというのだ。

平井は、自分がエフを飲んだときに押さえられなくなる感情や血走った目が、その男と同じものなのではないかという疑いに気付いて、不吉な感じがした。

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第十六回


試合の前に、まずドーピングの検査を受けなければならなかった。平井は検査室に入り、付き添いはいないと検査員に告げた。違反薬物の服用についての取り決めがいくつも書いてある紙に、サインをした。

検査員は、検査を受ける人間の動きすべてを監視し、実際に尿を取るところまで見ていた。平井は、そこに粘り付くような気味の悪さを感じて、アンチドーピングを推し進めるすべての人間の頭の中で、そうした偏執が這い回っているように思えた。不正を行う人間がいるから自分たちは仕方なしにやっているのだというような、ふざけた言い訳がいまにも聞こえてくるような気がして、次第に腹が立ってきた。

平井が検体を差し出したときの検査員の取り澄ました微笑は、「あなたも嫌かもしれませんが、私も嫌なんですよ、お互い大変ですよね」と、分かり合おうとして語りかけてくるようで、思い切り殴り倒してやりたくなった。

(こいつらは一体何がしたいのか。本気でドーピングを許さないなら、血液検査をすべきではないのか。宗教的な問題でそれができない選手もいるからと尿検査でごまかして、捕まえられない薬を許してしまうことが、本当にお前たちのしたいことなのか。それではただの見せかけではないか。ポーズでしかないのに、用を足すところまで監視して選手を侮辱し続けているような、この無意味で大げさな悪ふざけは、一体、何だ。お前らは、大会に参加する資格を得るための標準記録が、多くの選手にとって、突破するのに薬を必要とするようなものだということを、どうやって説明するのか。現に、この競技に関係しているすべての人間が異常な速さを、だから、異常な競争を求めているではないか。客は、それを見るために金を出すのだし、その金を狙う人間が大会を催して、そのうえ多くの会社からスポンサー料を取っているではないか。にも関わらず、クリーンなイメージが欲しい企業は、ドーピングなど認めないのだと、厚かましくも主張している。しかし、企業も選手も同じではないか。どちらも、余計にドライブのかかった頭のおかしい欲望のために、もつれた足で倒れそうになりながら走っているのは、同じではないか。金のために競技を利用する人間と、ただ速く走ることのために手段を選ばない人間と、どちらが裁かれるべきだというのか)

もう反論すまいと決めていたのに、またすでに何度も練ったいくつもの考えが平井の中で、同時に湧き上がった。それらは並列で展開されて、だから、一つの爆発ように感じられた。エフのせいかもしれないと思いながらも、平井には、血管に詰まる血液のように粘り気を持った情念が、沸騰していくのが分かった。

(そもそも、宗教的な理由で血液を検査に出すことができない人間は、走ることよりも宗教の方が大事だと考える人間ではないか。そんな人間など、始めから問題ではないのだ。そして、本当に宗教が必要なのは、タブーを犯してまで、走りのために自分を捧げようとするほどの魂ではないのか。ただし、そうは言っても、俺には宗教など必要ない。俺は、走ることへの衝動によって、人間も神も無視する。宗教も倫理も問題ではない場所へと走る。そして、すべてのものを突破する。俺は自分の正しさを知っている。俺が信じていることに、誰かを従わせる必要などない。ただ一人でも保つことができる信仰こそが、もっとも強いものだからだ。だからもう、このことは考えなくても良いのだ。考える必要など、まったくないのだ)

自分の中にエフとは違う毒が溜まっていくのを感じて、平井には、それが喜ばしいことに思えた。けれども、毒を吐き出すべき相手は、検査員などではある筈もないと考えて、急いで検査室を出た。

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第十七回


ドアを閉めて少しだけ前に歩くと、すぐに別の考えが頭に浮かんだ。それは、ごく普通のものではあったが、平井の視点からすれば、遅れてきて当然の見方だった。

(そうか。やはり、こいつらはとにかく金が欲しいのだ。ただ、とにかく金が欲しいから、大会を開き、競技がクリーンなものであるかのように見せかけようとしているだけなのだ。そして、どうして潔く、自分はとにかく金が欲しいだけだ、とは言わないかは、つまり、そう言ってしまえば金が集まらなくなるからだ。そういう馬鹿げたまやかしで塗り固められたグランドの中に、スポーツの倫理が大事だなどということを本気で主張するような、もっと頭のおかしい人間たちが寄り集まったりもして、次第に、何がしたいのかが分からない、得体の知れない集団に育ってしまうのだろう。そうか、分かった。結局は皆、俺と同じように病気なのだ。あの検査員たちも病気だし、大会の主催者も病気だ。スポンサーも病気なのだし、観客も病気だ。そして、杉田も、達川も、病気なのだ。実際の病気の種類や症状が様々なように、俺たちの病気がどの方向に捕らわれているかによって、それぞれの行動が違ってしまうだけの話なのだ)

検査室から数歩進んだところで立ち止まったまま、平井がそんなことを考えていると、後ろで人の気配がした。振り向くと、そこには小田がいた。小田は平井の方を少しだけ見たが、そのまま検査室へと入っていった。

平井には、小田もまた病気なのだろうかという疑問が浮かんだが、それに理屈を付けるよりも先に、間違いなく病気などではないという答えが、突き付けられるように立ち現れた。平井にとって小田の走りは、まだ自分というものを確かには意識していない子供がする、遊びにも思えた。

平井は、自分の考えが作り出し自分を包んでいた膜が、小田が通り過ぎて起こった風によって破かれてしまったような気がした。そこからこぼれていく考えが、緩慢だけれども止まることのない、だから、最後には命取りになってしまう出血のように思えた。少しずつ毒が抜かれていくのを感じて、平井の中で新たに、微かではあるが確かな焦燥が育ち始めた。

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第十八回


検査を終えた平井は、すでにすべての準備を済ましていたが、もう一度ロッカー室へ戻り、自分のバッグからエフの小瓶を取り出した。周りを見回してから、手のひらに一錠だけ出して、アルコール依存の人間が酒を飲むときのように、手の方に唇を近づけて口の中へ入れようとした。

いまさら身体的能力を上げるつもりなどなかった。だから、それは気付けのようなものだった。しかし同時に、検査の無意味さを自分自身に証明してみせるためのものでもあった。人の気配を感じて平井が振り向くと、部屋の入り口のところに小田が立っていた。小田は、無表情で、スポーツドリンクの容器から出たストローを口にくわえていた。

平井の目には、ビニールでできた半透明のストローの中にある空気の泡が何か固形物のようで、小田の口に次々と吸い込まれていっているように見えた。それを、小田が体に取り込んでいる特別な物質と感じて、目を見張った。

ただの気泡にすぎないことに気付いて、少しだけ恥ずかしくなった平井は、部屋の入り口の壁にもたれて片方の膝を曲げ、足を交差させながら立っている小田の姿を、格好を付けているのだと決め付けて、鼻で笑った。黙って平井を見ていた小田は、ストローを口から外して、特に批判や意見をしたりするような口調でもなく、話した。

「俺も勧められたが、あの医者が言っていた薬か?」

平井はくぐもった声で少し唸りながら、ただ頷いた。小田は、何も応えなかった。しかし、心の中では、自分はエフを飲んだ平井に負けることはないだろうと、感じてはいた。

けれども、それは、薬物に頼る人間に自分は負けたりはしない、などという軽蔑の感情ではなかった。薬の副作用だとか、偏った鍛えられ方をした体の異常さだとか、そういうことを考えている訳でもなかった。そうではなくて、初めに薬を口にしてしまった、その瞬間にあるだろう精神的な弱さが、どんな薬の作用も打ち消してしまうほどに、ランナーの動きを鈍いものにさせてしまうに違いないという感覚を、小田は持っていたのである。

しかし、その感覚は意識的なものではなく、だから、小田はとにかく自分は平井には負けないだろうと、提示できるような根拠などなしに、しかし、完全ともいえる自信をただ感じているだけだった。

実際、小田はドーピングなどしなくても十分に速かったし、少しずつだが速くなってもいた。そして、その瞬間、日本人では最速の男だった。小田は自分の能力を信じていた。不調のときでも、いつかは必ず記録が伸びるということは、小田にとってはいつでも、もう分かってしまっていることだった。

それが真実ではないことも知ってはいたが、自分の確信を疑うことは、何の価値もないことで、だから、まるで自分から落とし穴に落ちてしまうような馬鹿げたことにさえ思えた。小田にとって平井は、高校時代からすでに、そういう自分が持つ疑いの罠に嵌ってしまっている人間のように、感じられていた。

小田は、自分も平井も、走るしかない人間なのだということを知っていた。それは、自分から走ることを取ってしまえば何も残らないと考えていたのではなく、自分は走りたいのだし、走ると決めたのだから、とにかくトレーニングをして走るしかない、ということを意味していた。

つまり、自分の能力を疑っても仕方のないことで、ただ自分というものを走ることの前に差し出して、すべてを委ねてしまう他ないということが、小田には分かっていたのである。しかし、自分が結局は悪くない結果を残すという根拠のない確信が、誰の心にもある訳ではないということもまた感じていたために、平井に対して、「考えすぎるな」だとかいうような、気休めの言葉を掛ける気にもなれなかった。

ただし、こうした小田の、走りに対する、そして、平井に対する反応のすべてはやはり、単に予感のようなものでしかなく、その裏側にある理屈を小田自身、意識できている訳では決してなかった。すべての結論の部分だけが、一挙に小田の心に浮かんでいたのである。

だから、平井を前にして小田の心にあったのは、平井のやり方に対する違和と、それでも互いに走るしかない存在であることについて共感と、自分が自分の力や走ることの価値を信じてしまっている喜びと、そして、自分の信じるところを平井に伝えられないもどかしさとが入り混じった、一つの感覚だった。

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第十九回


平井は、自分に無関心のようでありながら、しかし、目の前から立ち去ろうとはしない小田の態度を、自分にとって一番強烈で、しかも巧妙に隠された非難のように感じて、苛立った。

「お前は、やらないのか」

「そんなことはできない」

「不正だからか」

「いや、とにかくそんなことはできない。ただ、それだけだ」

平井は、具体的なことを言わない小田に、自分が用意していた反論を無視されたような気がして、腹立たしかった。立ち去ろうとして背中を向けた小田に、平井は静かではあるが強い調子で言った。

「俺はただ勝つために、こんなことをやっている訳ではないぞ」

小田は振り向いて、そんなことには何の興味もないというような表情を見せると、ロッカー室から出ていった。

「お前などに、分かる筈もない」

平井は、自分が重要視するものは、他人もそうしなければならないと思っているような自分の幼さを、小田の無関心によって証明された気がして、より大きな苛立ちを抱えなければならなくなった。手のひらのエフを見ると、白色のカプセルの中に、薬の粉末が少しだけ透けて見えた。

(この影は、何より優先すべきものという自分でも解決のできない絶対に憑かれた人間が抱えたもの暗い思いで、だから、偏執の周りで果たされずに淀んでいる望み、つまりは、憂鬱だ。行動を支える原理は、すべて幻想なのだから、その強さは、ちょうど同じだけの深さを持つ憂鬱と繋がっている。逆に言えば、憂鬱の強さこそは、原理の確かさそのものなのだ。同時に、それは原理の不確かさでもあって、つまり、その意味するところは、人間に原理はないということだ。人間には原理がなく、だからこそ、原理が要請されるのだが、すべての原理は無根拠であるがゆえに、確かなものにしようという思いだけが、虚しく確かさを増すという訳だ。そして結局、薬の軽い粉末のような手ごたえのない憂鬱だけが、逃れ難くもたらされてしまうのだ。憂鬱は原理の確かさと不確かさとを表し、それぞれがともに鋭さを増していくのだが、その相矛盾した姿が、まさに原理のなさを証明しているのだ)

平井は、勝手に走り出してしまった、脂ぎった自動機械に似た自分の考えを感じて、すべてを痩せさせながら膨れ上がっていく、虚しさを覚えた。そして、それを押さえ込んでしまうためにエフを口の中へ入れて、飲み下した。

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第二十回


グランドへ行き、一次予選のためにアップをしながら、平井はまた考えを巡らせていた。

(本当は強烈な望みの、その望みのなさのことを、誰もが知っているのだ。そして、それを誰もが見たいと思っているのだ。なぜなら、それは、人間を突き動かしている力の行き着く先であるからだ。そのために、たくさんの人間が、ただ百メートルを速く走るなどという何の意味もないことに命を賭けているのだし、それを見ているだけの者たちもまた、強烈な熱狂へ引き込まれてしまうのだろう。けれども、ほとんどの人間がまた、その絶望を恐れてもいる。自分の中にも間違いなくそれがあることを、感じてしまっているからだ。だからこそ、選手がドーピングしていることを知らされると、ヒステリックに怒り出すのだろう。金や名誉のためではなく、ただ単純に、どんな手段を使っても速く走りたいと願うという、その願いの不気味さを予め知っていて、理解できてしまうからこそ、激しく嫌悪するのだろう。嫌悪するということ、それは、少なくとも理解はできるということだ。つまり、嫌悪するその対象は、自分の一部なのだ。限界へ向けて走りたいのは、自分自身だ。絶望へ向けて走って行きたいのは、自分自身なのだ。つまり、ドーピングが恐ろしいのは、実際に使っている選手ではなく、それを知らされた観客自身だ。彼らは、何か、自分が目指すもののために強い衝動に突き動かされて、取り返しのつかない副作用のある薬を使ってしまうかもしれないという、そんな自分が恐ろしいのだ。自分では背負いきれない恐ろしさを、それを見せつける人間の側を非難することで、なきものにしてしまおうとする人間たちのことを、俺は知っている。俺は、そんな人間の髪の毛を掴んで、俺が持つ望みの、その望みのなさを突きつける。絶望とは、自らの限界を凝視してしまうことだ。そして、それに向けて走ることだ。俺は、つねに限界へ向けて走っている。百メートルを十秒で走ることができたとしても、それを一秒で走り切ることは誰にもできない。だから、その間には、否定することのできない限界がある訳だ。俺はいつでも、その限界へ向かって走っている)

ほどなく始まった予選を、平井は難なく一位で通過した。ニ次予選も、翌々日の準決勝も、一位だった。しかし、まだ決して、全力で走ってはいなかった。平井には、自分より才能に溢れた選手たちが積み重ねてきた努力が、エフという憂鬱な粉末によって簡単に愚弄されてしまうことが、愉快だった。そして、薬を使わずに努力するということが、余計な潔癖さの表れで、だから、ただの独り善がりに過ぎないものにさえ思えた。

(俺は、必ず、圧倒するだろう。小田をはじめ、すべての選手を圧倒して、勝利してしまうだろう。圧倒すること。それが、俺の求めていたことだ。僅差で勝ちを収めても、それでは駄目なのだ。それは紛れでしかないからだ。圧倒しなければならない。必ず、圧倒して勝たなければならない。そうでなくては、本当の意味での勝ちとは言えないからだ。例えば、風の強さや風向きだとか、あるいは、トラックの状態のように、実際に競技を行うときのコンディションは様々であるにも関らず、記録というものがあたかも、すべての選手がまったく同じ条件で力を出し切った結果のように、つまり、絶対的な比較が可能な基準であるかのように扱われている。けれども、そのことは間違いなく嘘なのだし、だから、ほんの少しの違いによる勝利は、選手にとっては自分への侮蔑でしかないのだ。僅差は、様々な理由によって、つねに生み出され続けている。それは、誰も、何ものをも意味付けてなどくれない。だから、記録は驚異的なものでなければならない。たとえ次の日には、どこかの誰かによって破られてしまうものではあっても、達成されたその瞬間には、驚異的と呼べるものでなくてはならない。俺は、紛れの中で偶然に生み出された記録に、愚弄されたくないのだ。つまり、俺は紛れで勝つことをもたらしてくれるような、幸運が欲しい訳ではない。堆く積み重ねられた禁欲的な努力の、その褒美が欲しい訳でもない。あり得ないような走りを世界の中に出現させて、それを見たすべての人間を、それぞれが真実と見做す世界から突き放してやりたいのだ。幸運や努力というような下らない意識を窒息させ、殺してやりたいのだ。そこでは当然、運も実力のうちだとかいうような下らないおしゃべりなど、一瞬で息の根を止められてしまうだろう。俺はそうしてすべての物語を、殺してしまわなければならない。なぜなら、それでも残ることができるものと、すべての嘘の物語はいつか必ず殺されるということだけが、真実であるからだ)

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第二十一回


平井は、決勝のトラックに立った。八人の選手が並んで走るという競技のやり方が、まだ実現こそしていなかったが、そうなるとすでに決まってしまっている自分の勝利を美しくするための、設えのように思えた。

号砲が鳴った瞬間から、もう平井は誰よりも前にいた。他の選手は、追い付こうとしているようにさえ、見えなかった。誰もが、走り始めてすぐ追い付くことを諦めてしまって、ただ自分の走りを全うするためだけの慎ましい走りを走っているように見えた。

それは、平井より速く走ることが不可能であるがゆえに、必ず負ける勝負の無意味さの上を、虚しく走るということだった。後半になるとすべての選手が物理的な支配によって否応なく減速する中、平井だけ減速が少ないために、ただ一人、再び加速していくように見えた。

平井は右手を差し上げ、真上を指差してゴールをした。そのためにロスしてしまう時間を、自分自身に捧げながら。小田は、まったく平凡な記録に終わり、平井から一秒以上も遅れてゴールした。そして、その瞬間、雄叫びとでもいうような大きな叫び声を上げた。平井は背後にその声を聞きながら、ウイニングランをした。そして、いつも心の中で繰り返してきた言葉を、もう一度、呟いた。

(すべての勝利は圧倒的なものでなければならない)

平井にとって、自分に喝采を送る観客のすべては、自分自身の欲望のその望みのなさを見まいとしながら、自分以外の人間がそこへ向けて走るのだけは見たいと願うような、取るに足らない生き物の群れでしかなかった。そして、小田こそは、自分と観客の間にあるもので、だから、救い難い不徹底さの象徴なのだと悟った。

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最終回


十年の時が過ぎたいま、平井は二次性糖尿病に罹り、壊死した両足の膝下からの切断を余儀なくされた。初めて足に軽い痺れを感じたとき、平田はそれが薬の影響だということを自覚していた。そして、二度と走ることができなってしまうのも、予想できていた。

しかし、その両足切断という事態は、エフという薬物のせいだというより、自分が自分の能力以上の速さで走ったというただそのことによって、それをした最初の瞬間から、あるいは、そのことを目指し出した瞬間から、始まってしまったことのようにも思えた。動悸や眩暈がして体調のすぐれない平井は、病院のベッドの上に寝そべり、十年前に獲得した金メダルを、網膜症のせいで視力の落ちた目で、ただ眺めて暮らした。

選手権が終わってからずっと、平井のドーピングについての疑惑は、晴れることがなかったが、当時は、エフに対する検査の方法が確立されていなかったため、完全に黒と判断され糾弾されるようなこともまた、なかった。とは言え、平井がエフを使うことで記録を伸ばし、その代償として両足を失なったということは、雑誌などに書き立てられて、誰もが知っていることでもあった。

しかし、驚異的な世界記録への賞賛もドーピングに対する非難も、少しも平井の心に届くことはなかった。平井の頭の中には、やはり、ただ自分にとっての、自分のためだけの理屈が、いつまでも繰り返されていた。

(ルールという、あの絶対とされているものは、俺を捕らえることができなかった。俺をフィールドから追い出すことができなかった。俺は、それが目指そうとしているものと現実との隙間を、つねに感じていた。俺の走りは、それに向かっていた。その隙間からだけ空気が漏れ出していて、だから俺は、それに向かって走ったのだ。けれども、それは余りに強い風だったので、近づけば近づくほど、呼吸が苦しくなってしまったらしい。焦燥から逃れて、少しでも呼吸を楽にするために走ってはみたが、最後にはやはり、俺は窒息したのであるらしい。しかし、俺を捕らえることのできなかったルールは、それでもなお存在し続け、いまも変わらず重んじられている。その無邪気さとは、一体、何だろうか。確かに俺は、初めからそれを知っていた。無邪気さがルールを傷めたことを、知っていた。それを絶対とみなす無邪気さが、ルールを酷く傷付けたのだ。それでもルールは、いつも無邪気にその傷を晒し続け、同じく無邪気な多くの信者を引き連れて、我が物顔で自らの正しさを誇っている。だから、結局のところ、俺は負けたのだ。その罪深い罪のなさに、負けたのだ。俺は、俺の走りによって、甘い望みのなさを味わった。それを味わい尽くしたが、しかし、その毒によって、俺の足は腐れてしまった。ただ、はっきりしているのは、俺以外の誰も、あの絶望的な走りを知らないということだ。誰も知らないのだから、それは肯定的にせよ否定的にせよ、何かの判断をすることなどできない筈のものだ。あの走りは、俺だけのものなのだ。しかし、俺は、それを手に入れるためなら、何を犠牲にしても構わなかったなどと、言いはしない。それは、犠牲だとか代償だとか、あるいは損だ得だというような、あらゆる日常的な判断とは無縁のもので、だからこそ、俺の走りは、もう初めから決められてしまっている逃れられない場所に、追い詰められていた訳なのだ。そして、自分が、そんな望みのなさそのものを走らなければならないということを、ずっと昔から俺は知っていたのだし、それ以外ではありえなかったのだ。俺はすべて知っていた。初めから、分かっていた。だから誰も、俺に何も言うな。それは俺自身の、選びようのない選択だったのだから。多くの人間が、選択というものをさえ知らないなら、なおのことだ。俺に、誰も、何も言うな)

平井はベッドの上で、自分の中に深く刻まれた、あがきそのもののような走りの記憶を思い起こして、悲しみでも後悔でもない涙を、何度も流した。

一方、小田は、平井が体調を崩して競技ができなくなるまで、一度もその前を走ることはできなかった。平井が引退した後で走る、前に誰も走っていないトラックは小田にとって、線が引いてあるだけの虚しい回廊であった。そこでは、いつも舌の根が痺れるように感じられて、走るたびに何度も老いていくように消耗しながら、しかし、つねに他の誰より早くゴールした。

それでも、引退するまで結局、小田は平井の記録を抜くことができなかった。競技を引退してからも大学でコーチをしながら、自分の楽しみのために小田は毎日走った。いつも、前を行く平井の走りと、あのとき上げた自分の叫び声を思い出すたびに、肉体的なものではない喘ぎを感じて、それを振り払うように少しだけ加速して走るのだった。

−完−

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